こんにちは。
皆さんは、宝くじを買う派ですか?買わない派ですか?
僕は、どうせ当たらないから買わない派です。
どうせ当たっても、100円くらいですし。
でも今、令和記念の宝くじが発売中らしいですね。
令和記念なら、当たらないでもいいから1枚だけでも買ってみようかな
と思ったり思わなかったり。
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ということで今回は、令和1発目の不登校シリーズです。
僕の今までの人生の中で "迷い"、"決断" というキーワードに
一番適していると思う。
"不登校は不幸じゃない” ととある少年は言った。
この言葉には、こう返そう。
"人によって何が幸せかどうかなんて違うと思います。"
記憶がちょっと曖昧なんで少し違っているかもしれないが、
だいたいはこういう意味だ。
阿久津真矢先生に言ったセリフである。
"不登校=不幸" という等式を成立させるか、
不成立にさせれるかは本人次第ということだ。
どうすれば、その等式を不成立に出来るか?
正解は一つじゃない。いろんな答えがあるはずだ。
そのうちの一つを紹介します。
"人生=勉強" です。
少年よ。家かどこかで勉強していますか?
宿題なんかしたくないと言ってますが、人生=勉強だ。
大人になっても、勉強だ。勉強しないといけない。
なぜ?
人生で損しないため。
君が今、YouTube で動画を投稿出来ているのも、
YouTube というものを知っているから。
動画を投稿出来ているのも、動画の投稿の仕方を知っているから。
でも、それは初めからではなかったよね?
いつからかは知らないけど、それらを知って出来るようになったよね。
それは、学んだということ。
勉強したということ。
だから、人生=勉強なんです。
新しい世界を知りたくないですか?
君が知らない世界がまだまだあると思うんだ。
新しい世界を知った時、たぶんあなたの世界は変わるはず。
はい。お待たせいたしました。
本題に入ります。
僕が不登校を経験して、新しい世界を知った話です。
約15年前の話です。
当時、僕は中学2年生。
御多分に漏れず、僕も有名な病にかかった。
(全員が必ず通る道ではないが、体験者は多い)
中二病という病気である。
もちろん、当時の僕にそんな概念などない。
一口に中二病と言ってもいろんな症例があると思うが、
僕は、尾崎豊パターン。
いわゆる、生きている意味が分からなくなるパターンである。
また、それまでの僕はいわゆるがり勉である。
勉強という世界ぐらいしか知らなかった愚か者である。
不登校になり始めた当初に知った世界が、
ゲームである。
プレイステーション2がメインである。
GBAでは人生ゲーム、プレステ2ではウイイレをメインでやっていた。
メインと言っているが、やったのはそれだけである。
普通の人から見れば、たんなるライトユーザーレベルだろう。
でも、全くやったことがなかった当時の僕にはとても斬新な世界だった。
このままゲーム沼にハマったのかというと、そうではない。
僕は目が悪かった。ある程度ゲームをしていると、目が疲れるのだ。
症状が悪化すると目が疲れるだけでなく、吐き気を催したりする。
なので、長くても2時間ぐらいまでしか出来なかった。
そのため、ゲーム沼にハマることはなかった。
しばらく家でこもっていたが、
とある時期から先生がフリースクールみたいなところを紹介してくれたので、
そこに行くようになった。
そこから僕の人生で革命が起こった。
フリースクールに通い初めてからしばらくは、誰かと接触することはなかった。
パソコンで、Yahoo の掲示板を見ていた。
そこで、保健室登校というものがあるというのを知る。
不登校と一口に言っても、いろんなパターンがあるというのも知った。
そこから、転じて今では立派な5ちゃんねらーだ。
こうして、ブログを書いているのもきっかけを辿ると、
ここに行き着くだろう。
フリースクールで、しばらく誰とも接することがなかった僕が、
誰かと接するようになったきっかけがとある女の子だ。
フリースクールで、参考書を広げて勉強していた僕に
突然、「ごめん。ちょっとこれ持って写真撮ってもいい?」と
声を掛けてきた。
そうして、手渡されたのが消しゴムである。
彼女が何をしたかったのかは永遠の謎だ。
不審者と見て、ドン引きしたりするのが普通の人だろう。
ところが僕は、「なんやねん。こいつ。おもろいやん。」となったわけだ。
お互いに変わり者同士だったわけだ。
そこから、恋愛に発展したりするのが定番なのかもしれないが、
吃音を患っている真正のコミュ障には次元が違う世界である。
とあるきっかけで電話番号はゲットしたが、
一度もなんのコンタクトも取らないまま、
時間が過ぎてデータを消すはめになったのが現実である。
今ではフルネームさえも思い出せない。
それ以来、フリースクールで同士達とコミュニケーションするようになる。
そこで、出会ったのが音楽という世界。CD‐Rという世界である。
今では、手軽に買うことが出来にくくなったね。
コンビニで気軽に変えた当時は良かったな。
まあ、必要になる時は滅多にないんだけど。
当時の僕に、とある CD-R をくれた子がいた。
その CD-Rには、いくつか曲が入っていた。
歌っているアーティストがバラバラなやつ。
言っている意味が分かるだろうか?
当時の僕には、CDというものは
一つのアーティストの曲が2つか3つ入っているという
概念しかなかった。
なので、違うアーティストが何組も、
それが5曲ぐらい入っていたものに
なんだこれ?こんなのあるの?状態となったわけだ。
しかも、入っている曲全てが僕のお気に入りになった。
それから、音楽にハマることになった。
CD-R をいくつも作って、何回も聞いた。
当時のCD-R がまだ少しだけ残っているが、
傷だらけでほとんどまともに再生することは出来なくなった。
高校生になってからは歌いながら自転車に乗るようになり、
今では、歌いながら車を運転している。
ちなみに、僕が物心着いてから最初に好きになった曲は、
ポルノグラフィティーの Mugen という曲です。
それからいろいろとありまして、
中学校を卒業して高校生になったわけです。
詳しくは上記の記事に書いてありますが、
僕が今、ガジェット系のオタクなのも
工業高校に行って、情報系を勉強したからです。
上記の記事に書いてあるけど、本当に工業高校はいいよ。
僕は、国家資格を2つ取りました。
大人になってからでは、資格取得の勉強さえしたくなくなるから。
話は中学生の頃に戻りますが、
僕が中学2年生でフリースクールに通っていた時に、
とある中学校の運動会を見に行った時がある。
自分の母校ではなく、そのフリースクールに通っていたとある子の学校だ。
プログラムの中に、○○中学校の中心で勝利を叫ぶというものがあった。
ちょうど、セカチューが流行っていた全盛期である。
なんだこれ?と思いつつ見ていたら、その競技の順番が来た。
見ているとどうやらただの障害物競走である。
ただ、ゴールの前に椅子が置いてあり、
皆がその椅子の上に立って、何かを叫んでいるのである。
最初のうちは意味が分からなかったが、すぐに分かった。
とてもユニークだなあと思った。
椅子の上に立って、誰かが叫ぶごとに
そのチームの応援席から声援が帰ってくるのである。
悪くないよねこういうの。
また、棒倒しという競技もあった。
初めて見た競技。
頭を使ういい競技だなあと思った。
見ている方も見応えあるし。
騎馬戦やフラダンスしかやらない母校とは
比べ物にならないほどいい運動会だった。
競合の同業他社をサーチするのは、とてもいい。
皆さんもやってみるといいと思います。
少年よ。勉学に励め。
新しい世界を体験したいならば。
知らないうちに損しているかもしれないよ。