†カッペぼっち厨二病陰キャ底辺ブロガーの日常†

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高校卒業後、大学に進学せずに就職した理由

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詳しくは、https://solitude-diary.hatenablog.com/entry/2018/05/25/151514 をご覧ください。

こんにちは。

 

ひと段落したと思ったらまた台風がやってきますね。

本当に勘弁してください。

体調を崩している方もいるのではないでしょうか?

僕の喉の調子がちょっと悪いです。

早く落ち着いてほしいな。

 

人生て本当に波乱万丈だなあと思いたくなるような天候が続いているよね。

本当に今年は大奮発し過ぎな気がする。

平成最後と言っても、少しは手を抜いてほしい。

 

ということで、そこまで波乱万丈ではない僕の人生について話します。

 

 

 

 

今回は、中学校~高校卒業後の進路について。

 

一部の方を除いて、高校受験が初めての受験という方が多いだろう。

どの高校に行くか?とか

高校卒業後、大学などに進学するか?就職するか?と

悩んだことないですか?

現役の方で悩んでいる方もこれからの方にも

参考程度に捉えてもらえれば幸いです。

僕の場合は、ちょっと特殊だから参考にならないかもしれないけれど。

 

まず、前置きとしてこれを話しておく。

solitude-diary.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

僕は中学生時代、不登校だった。

学校に行っていたのは中学校2年生の途中までと

中学校3年生の3学期からである。

よって、推薦入試は受けられる状態じゃなかったということ。

ちなみに、高校1年生の時も2学期は保健室登校状態であった。

 

それでは、中学校3年生の3学期から話します。

中学校3年生の夏にとある高校の体験入学会に行った。

金沢高専というところである。

ふと、調べたら今は国際高専に名前が変わったんだね。

プログラミング体験が出来るってあったから行ってみたんだ。

ろくにパソコンも触っていない僕にとってはとても新鮮だった。

そもそも、学校自体が私立でとても立派な建物だった。

これ、学校なの?こんなにもすごいところがあるんだ。

すごく衝撃的だった。

ここに行きたいと思った。

でも、無理だった。

そこは、私立だったから。

僕の家の伝統で公立高校しか受験出来ない決まりがあった。

それでも、行きたかったから親と(主に祖父)戦おうとした。

でも、お金がかかるからって親戚からも反対された。

だから、もう勝ち目はないなって諦めた。

親戚からも反対されるとは思ってなかったから。

そして、新たな候補を探すことになった。

公立高校で。

でも、パンフレットを見てもモチベーションが下がるだけだった。

どうしても金沢高専と比べてしまうんだ。自分の中で。

そうしたら、どこも劣りすぎてて選ぶ気にならなかったんだ。

そのまま、高校探しは封印された。

でも、現実世界から逃げ続けるわけにはいかない。

中学校3年生の3学期になり、もう志望校を決めないといけなくなった。

というわけで、いやいや高校探しを再開した。

そこで見つけたのが、小松商業高校というところ。

音楽とかのコースがあって、

2年生からコースに分かれて学ぶというところだった。

初めてみたシステムだったから斬新だなあと思ってそこにした。

小松商業高校に出願した。

でも、担任の先生から一言注意喚起があった。

女子が多いけど、大丈夫かって。

そう、そこは元女子校だから女子が多い。

もちろん、把握している。

担任の先生はなぜ、僕に注意喚起したか。

それは、女子と何度もトラブルになったからだ。

そこから端を発した問題が不登校の一因だったから。

つまり、僕にとっては大きな問題。

でも、無視するしかなかった。

だって、他のところを選んだりする余裕なんかもうないもん。

それでも、やっぱり改めて言われるとやっぱり気にしちゃう。

そんな時にチャンスがやってきた。

出願する高校を一度だけ変更出来るって担任が言った。

これは、もう運命だな。そう感じた。

高校を変更することにした。

さて、どこにしよう?

時間がないので、考えを改めた。

これからの社会、何を勉強しとけばいいのかなって。

頭に浮かんだのが、パソコンだ。

これからも IT化は進んでいく。

間違いないだろう。

ということは、パソコン関係の勉強しとけば間違いないかな。

そんな結論になった。

ということで、僕の受験する高校は小松工業高校になった。

 

それからしばらくして、衝撃的な事実を知る。

なんと、小松工業高校の合格ラインが500点満点中250点であることを。

当時の僕はワーストでも370点台である。

さすがに合格ライン低すぎやしないか。

他にしようかとも思ったが、県内の他の工業高校も同じ合格ラインである。

それならば、仕方がない。

ということで、ろくに受験勉強しないで受験するに至る。

まあ一応、県内の過去の高校入試問題集は解いていたけど。

平成14年度辺りから問題のレベルが明らかに変わっていて、

ゆとり教育の凄さを感じた。

 

高校の合格発表の日が来た。

僕の受験番号は最後から2番目である。

でも、合格発表の欄には僕で最後になっていた。

最後の人、落ちたんだ。

それをしみじみと感じながらその場を去った。

まあ、どんな人だったかは覚えていないけれど。

 

そうして、高校に入学した。

入学してから少し経ったある日。

とある試験の紹介があった。

受けるやつなんかいないと思うけどと言いつつも担任は紹介した。

危険物取扱者試験である。

誰も受けたいと手を上げないと思われた。

でも、上げたやつがいた。

だから、僕も上げた。

一人だけだと寂しいから誰か上げるのを待っていたんだ。

丙種と乙種の2種類あり、さらに乙種も何種類かあるらしい。

その中で、乙4が一番取る人が多くて役に立つそうだ。

ということで、それにした。

ちなみに、この時まで僕は勘違いをしていた。

危険物取扱者試験を。

爆発物処理班みたいな感じを想像していたのだ。

なんかそういうのかっこいいじゃん。

そんな思い込みで受験するに至る。

 

結果は散々だったはずだ。

でも、なんと合格していた。

そんな事実信じられない。

高校1年で6月にいきなり乙4を取ったのは僕が初めてだって。

学校初の出来事らしい。

でも、まあ全く実感はない。

それ以降、特に何か変わったということはない。

でも、燃え尽き症候群に襲われた。

それで、高校1年の2学期は保健室登校状態となる。

3学期に復帰する。

未だに、なぜ合格出来たのかは謎である。

免許証は大切に保管している。

今後も使うことはないだろうけれど。

 

高校2年生になると、今度は別の試験に挑む。

基本情報処理技術者試験である。

何回か受けたけど、まだ受かっていない。

今は受ける予定はない。

 

今は後悔している。

もっと、勉強しておくべきだったと。

高校の時に合格しておけばよかった。

働きだしてからは、勉強する気が全く起こらないのだ。

だから、取れるうちに取っておける。

それが、工業高校の魅力。

そこで、取得した免許は一生ものとして使えるのだ。

定期的に更新が必要なものもあるけれど。

きっと、人生の役に立つ。

だから、男子中学生には工業高校をお勧めする。

他にやりたいこととかあるなら別だけど。

特にないのならば、工業高校いいよ。

 

僕のクラスは陰キャの集まりだった。

教室の灯りが少しくらい暗くても誰も電気をつけようとしない。

そんなやつらばかりが集まっている。

オタクも多かった。

遊戯王のカードゲームが流行っていた。

そんなクラスだから、すごく居心地が良かった。

誰も他人に干渉しようとしないから。

グループはいくつかあったけれど、

全体的な影響力を持っているグループは一つもなかった。

グループに入っていないやつも半分くらいいた。

 

ただ、体育は厳しい。

軍隊レベルに感じるほどに厳しい。

そこさえ、乗り越えれればいいところだと思う。

不良みたいな人も少しはいたが、僕らに特に影響はなかった。

 

そうして、高校3年生になる。

高校3年生からは授業によっては、グループ別に分かれて授業をした。

就職グループと進学グループだ。

当初は、進学グループに僕はいた。

そう。中学生時代の未練が残っていたから。

金沢高専に行きたかった未練がある。

だから、後継の金沢工業大学に行こうとした。

そんな状態で、3学期になる。

いよいよ本格的に進路を決める時期。

金沢工業大学を諦めないといけなくなった。

お金の問題は奨学金を利用する公算だった。

そこはそれでよかった。

でも、肝心の成績が及ばなかった。

高校1年生の時の保健室登校での成績不振が響いて

総合的に足りなかったのだ。

なので、他のところに切り替えることにした。

そんな中、気持ちに変化が現れる。

就職の方に気持ちが徐々に揺れ動いていたのだ。

先生から就職の話とかいろいろと聞いていくうちに、

就職もいいかなあと思うようになって、

進学も大変だなあと思うようになったのだ。

そして決定打になったのが、求人である。

一人当たり3~4社の求人が来ていたのだ。

そうなると、考える。

大学に行って卒業した後、就職状況はどうなるのかと。

今よりも悪くなる可能性も十分に考えられる。

今、売り手市場のうちに就職しておくのもありじゃないかって。

ということで、就職することにした。

 

そして、高校を卒業して就職するが

約半年後にリーマンショックが訪れる。

 

もしも大学に行っていたら、

僕は無事に就職出来ていただろうか?

 

まあ、就職してから約1年後に転職することになるんだけれど。

その話は要望があれば、話します。

 

工業高校から高卒で就職するという選択肢。

十分にありだと思う。

生活に余裕があるわけでもないけれど、

背伸びをしないで、身の丈にあった生活をしていれば

十分に生活出来ている。

 

大手のキャリアを使わずに、MVNO を使う感じ。

今はそういう選択肢でも十分にありだよね。

本人がそれで十分だと思うんなら。

100点満点を目指す必要はないと思うんだ。

 

以上、不登校だった僕がまともに自立出来るようになった話でした。

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